祝詞、御真言、祈祷の有意性

暫くお休みを戴いておりますおさんです。

まあ、ここんところこのブログの訪問者もめっきり少なくなって参りましたので

ここだけの話で書かせて戴くのですけれど

祝詞、御真言、祈祷の有意性と云いますものは

ありますね。

有意性と言いますのは数学に於ける確率という分野で

明らかに偶然ではない乱数の乱れがあるよ。

この乱数の乱れには何かしらのそれを引き起こした原因があるよ。

意味があるよ。

ということでありまして、

間違いなく何らかの効果が生じておるのでございます。

祈祷 > 祝詞 > 御真言 ≧ 努力 = 祈り > 有意性なし

って感じでしょうか。


まあ、それが神的なものでないことは明らかなのであるのですけれども、

どちらかといいますと余り高くない次元の

呪術的霊的作用であることには間違いないのですけれども、


祝詞系のものは呪術であっても綺麗に奏上しましたら

明神界からのお力添えがありますね。

それはね、経験上間違いないと思うんです。


でもねそういった祈祷や祝詞や御真言は動機が間違いなく我欲なのですから、

その人の都合で奏上する以上、心の次元は間違いなくそんなに高くは無い。

未成仏霊、動物霊や妖怪、地獄霊、魔物が介在しておりましても分らないわけです。

何らかの効果が生じたとしても

後々どのようなしっぺ返しを食らうかも知んない。

ですから勿論私はやりませんよ。

一時はやりましたけど、もうやりません。


祈祷しなくても

何らかの欲望を叶えるために祝詞を奏上しなくても

御真言を誦さなくても

魂を調和させておくことは可能だからです。

普通に考えてね。

一度深く反省さえすれば

心は澄み渡り水面の波紋は消え去るのです。

いつ如何なる時でもです。


欲に振り回されて呪術や世俗的な価値観にのめり込み、

或いは疲れ果てて魂を濁らせ腐らせる。

まあどちらにしましても地上でも修行は間違いなく

魂を腐らせるものでありますけれども、

必要以上に腐らせることはないんじゃないかなぁ

ってのがおさんの主張でございますよん。


いや、その上でね、

呪術的方法論には間違いなく確率における有為的効果があったと、

お話させて戴いておりますだけのことでございます。


ってか、もっと効果の生じる低俗な方法は沢山ありますけれどね。

その方法を行う人に対してはおさんは「虫けら」以下と蔑みますけどね。


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by yskfm | 2014-06-04 15:07 | 第二部、大地 | Comments(0)
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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