霊
私達の住むこの世界には、恐らくはどのご家庭にも、誰の心にも、霊的な関わりがございます。
時には余り好ましくない霊との関わりもあるかも知れない、
そんな中で私達は心を磨く修行をしているんです。
それがこの世界、大自然界の決まりなんですね。
霊が居る、なんてね、余り慌てふためいても仕方がない。
好ましくない霊との関わりがありますと、当然雰囲気も暗く、気持ちも沈んで参ります。
心を輝かせて毎日を楽しく力一杯に生きておりますと、当然好ましくない霊との関わりも減って参ります。
全てご自身の心が招くのです。
ですからね、
今生を、この人生をどのように生きますか?ってことなんですよ。
素晴らしい人生を生きるのも私達次第、
どうしようもない人生を生きるのも私達次第。
霊だってそうなんです。この世界の人々に祈って戴き、立派な方の生き方を見習い、
この世界の人々と助け合いながら、迷惑を掛け合いながら、
互いに係わり合いながら存在しているんです。
成仏するのもしないのも自分次第。
立派な坊さんのお経でも成仏しない霊もおりましたら、
簡単に執着を解き放って成仏してしまう霊もいるんです。
お経なんて全く関係ないんです。
要は心なんです。
宗教でもね、
正しい心を教えて下さる宗教、
間違った心を教えて下さる宗教、
心を教えて下さらない宗教、
と色々ありますけど、
恐らく殆どの宗教が下の2つなんです。
宗教に頼っておりましても成仏なんかできませんし、
幸せにもなれないんですよ。
お経は心を浄化させるために読んで理解して実践するものなんです。
御真言は心を浄化させるためのものなんです。
祝詞は真心を取り戻すために奏上するんです。
或いは神様への感謝の気持ちを表すためにそういったものを唱えるんです。
そこに心が伴うものでありませんと、何の力も価値もないんです。
たとえ神界の神様だって、真心と感謝の気持ちがありませんとお力添え下さいませんでしょう。
そういうものなんです。
現代は間違った常識が蔓延っておりますけど、
人間は目を覚さなくてはいけないんです。
もう一度神性を取り戻さなくてはいけないんです。
時には余り好ましくない霊との関わりもあるかも知れない、
そんな中で私達は心を磨く修行をしているんです。
それがこの世界、大自然界の決まりなんですね。
霊が居る、なんてね、余り慌てふためいても仕方がない。
好ましくない霊との関わりがありますと、当然雰囲気も暗く、気持ちも沈んで参ります。
心を輝かせて毎日を楽しく力一杯に生きておりますと、当然好ましくない霊との関わりも減って参ります。
全てご自身の心が招くのです。
ですからね、
今生を、この人生をどのように生きますか?ってことなんですよ。
素晴らしい人生を生きるのも私達次第、
どうしようもない人生を生きるのも私達次第。
霊だってそうなんです。この世界の人々に祈って戴き、立派な方の生き方を見習い、
この世界の人々と助け合いながら、迷惑を掛け合いながら、
互いに係わり合いながら存在しているんです。
成仏するのもしないのも自分次第。
立派な坊さんのお経でも成仏しない霊もおりましたら、
簡単に執着を解き放って成仏してしまう霊もいるんです。
お経なんて全く関係ないんです。
要は心なんです。
宗教でもね、
正しい心を教えて下さる宗教、
間違った心を教えて下さる宗教、
心を教えて下さらない宗教、
と色々ありますけど、
恐らく殆どの宗教が下の2つなんです。
宗教に頼っておりましても成仏なんかできませんし、
幸せにもなれないんですよ。
お経は心を浄化させるために読んで理解して実践するものなんです。
御真言は心を浄化させるためのものなんです。
祝詞は真心を取り戻すために奏上するんです。
或いは神様への感謝の気持ちを表すためにそういったものを唱えるんです。
そこに心が伴うものでありませんと、何の力も価値もないんです。
たとえ神界の神様だって、真心と感謝の気持ちがありませんとお力添え下さいませんでしょう。
そういうものなんです。
現代は間違った常識が蔓延っておりますけど、
人間は目を覚さなくてはいけないんです。
もう一度神性を取り戻さなくてはいけないんです。
by yskfm
| 2007-02-11 00:22
| 第一部、想ふこと