六道の辻
慈悲を持ち、愛を持ち、魂を救って下さるのは神でございます。
満足して感謝し、自力で力一杯に生きようとするのが人でございます。
逆に、不満を持ち文句を言い、努力を忘れて他力に縋ろうとするのが非人でございます。
怒りを持てば阿修羅でございましょう。
情けを失えば地獄の鬼でございましょう。
足ることを知らぬのが餓鬼でございます。
自らの欲のままに生きるのが畜生ですね。
神も、人も、阿修羅も、鬼も、餓鬼も、畜生も、
おなじ人の心なんです。
同じ神の子でありながら、心が化けるのです。
ですから私は恐ろしい。
一番恐ろしいのが心でございます。
客観的な視点を失いますから盲目になって化けてしまうのです。
そのような人を私は沢山見て参りました。
魂を救うのは神でもなく人でもない。
他ならぬ自分自身なのです。
反省という行為が唯一、自身の魂を救えるのです。
ですから私達は心して生きなくてはいけないのですよ。
そしてまた、命が失われることよりも、魂が地獄に落ちてしまうことの方が
恐ろしいのだと云うこと、
それは決して忘れてしまわないことでございますよ。
満足して感謝し、自力で力一杯に生きようとするのが人でございます。
逆に、不満を持ち文句を言い、努力を忘れて他力に縋ろうとするのが非人でございます。
怒りを持てば阿修羅でございましょう。
情けを失えば地獄の鬼でございましょう。
足ることを知らぬのが餓鬼でございます。
自らの欲のままに生きるのが畜生ですね。
神も、人も、阿修羅も、鬼も、餓鬼も、畜生も、
おなじ人の心なんです。
同じ神の子でありながら、心が化けるのです。
ですから私は恐ろしい。
一番恐ろしいのが心でございます。
客観的な視点を失いますから盲目になって化けてしまうのです。
そのような人を私は沢山見て参りました。
魂を救うのは神でもなく人でもない。
他ならぬ自分自身なのです。
反省という行為が唯一、自身の魂を救えるのです。
ですから私達は心して生きなくてはいけないのですよ。
そしてまた、命が失われることよりも、魂が地獄に落ちてしまうことの方が
恐ろしいのだと云うこと、
それは決して忘れてしまわないことでございますよ。
by yskfm
| 2007-10-04 01:00
| 第一部、想ふこと