カテゴリ:第二部、神霊( 14 )


原点

原点に戻ります。


あのね、創造神といいますものは、居てはりますよ。

それは高い次元の意識であり、

この世界を含む高次元体そのものを創造神と呼ぶべきなのかも知れませんけど、

紛れもなく、「調和」に向けた意識が存在しているのですね。


それから、幽霊もいてはりますよ。

人は魂の存在であってね、

死後に思いっきり良く現世の執着を振り捨てて前向きに反省に臨んでこそ

魂は浄化の過程を進んで参ります。

それが後ろ向きに憎しみなんぞ大事に抱えておりますと、

いつまでも幽界に留まり続けることになります。


人間の身体は物質的なものしか見えないようになっていますけど、

この世界も幽界にあるんです。

その証拠にね、

光とか、炎とか、物質ではないエネルギーの現れを私たちは見ることができるのですから、

この世界が三次元ではなくて実は四次元だということが分かりますでしょう。


タテ、ヨコ、高さ、

それが三次元の座標でおますな。

四次元はそこにエネルギー座標が加わります。

時間はね、座標ではないのです。

それは空間に標準装備された機能ですね。


ですから、例えばタイムマシンで過去に向かうことはできないのです。

過去へ行けたとしましても、それは神霊の中の映像の世界でしかないのです。

未来はね、アインシュタインの相対性理論で

物質が高速に近づけましたらその内部の時間の流れを遅くすることができますから、

未来へは行けるんです。


未来はね、ジグソーパズルのように一つ一つの魂のこの世界への関わり具合で

無限に展開されて参りますよ。

大きな流れはあるかも知れませんけど、定まった未来などないのですね。


UFOはね、存在しています。

それを操縦するものの姿は分かりませんけど、

たとえ異星人だとしましても、人類と同じ神霊意識体に存在するものですから、

考え方にそれ程大きな差があるとは思えません。

ただ、人類が余りにも未開発なために、恐らく人類がまだまだ理解に至らないことも

多いのではないかと思います。


或いはそれを操縦しておりますものは、

人類かも知れませんけど、

ジェットエンジンやロケットエンジンで満足している人類の創造物でないことは明らかですね。

ただ、模倣物といった可能性は大いにあると思いますけど、


あの世、即ち実在界にもね

文明はあるそうですよ。

今の人類の文明よりも遥かに進んだ文明があるそうです。

まあ、それはそうなんでしょうね。

一度も崩壊していないのですから。
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by yskfm | 2012-05-09 12:19 | 第二部、神霊 | Comments(0)

5つ目のエレメント

さて、アモン様(阿弥陀様)が信仰について説いてくださいまして、

モーゼ様が義について説いて下さいました。

御釈迦様は慈悲について、

そしてキリスト様は愛について説いて下さいました。

そうして数十年前に高橋信次先生がその全てを統合した神理について説いて下さった。


正法は、中道と八正道を縦横の軸とする生活の指針であり、

神理と正法についてもまた、

縦と横の軸を成す正しい物事の見方、考え方でありますことが分かりました。


さて、この信仰、義、慈悲、愛は四つのエレメントとして完全を成すものであろうか、

私にはそれが分からないのです。

分からないのですけど、人類を見ておりますと

それだけでは足らない何かがあると感じずにはいられないのですね。


それが何か、

神理、

いや神理はたとえば信仰だけでも神理でありましょう。

スポーツ選手の「気持ち良い」という言葉だけでも神理でありましょう。


神理以外に、

信仰と、義と、慈悲と、愛以外にね、

其れだけでは収まらないものが神霊の意識の中にはあるのです。

人を立たせて、人と人を繋ぎ、

いや、それだけではなくてね、

前へ前へ、より高い次元へと進ませる力の根源があるはずなんです。

それが何か。


或いはね、私は、それは願いではないかな、と思うのです。

いや、分かりませんよ。

今のところ、おぼろげにそうではないかなと思うだけなんです。

でね、それが正しければ、また「願い」のより詳しい神理が見えて参りますでしょうし、

そうでなければ別の神理が見えて来るのでしょう。


ただ、人も、魂も、神霊も、

その心の中に願いを抱えるものでありますことは、

間違いのないことではないかと思うのですね。
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by yskfm | 2011-12-28 15:33 | 第二部、神霊 | Comments(0)

ジグソーパズルのピースは嵌って行くのだ

以前から、おっさんが閃いた様々なことを色んなところで書かせて戴いております。

たとえばね、

モーゼは「義」について教えたのはないだろうか、とかね

右手を「愛」、左手を「慈悲」とするなら、

右足は「信仰」であり、左足は「義」になると思う、

信仰と義で人は立つことができるのだ、とか

書かせて戴いておりました。


あ、ここで言いますところの信仰とは盲目的に宗教を信じることではありませんよ。

真に正しいものを信じるということなんです。

そしてその中には、真実の神仏といった存在も含まれますでしょうけど、

決して人が作った宗教団体やその教祖を信じることではないのです。


でね、高橋信次先生はその書籍の中でね、

如来様のことを上段階光の大指導霊と呼んでいらっしゃいましてね、

菩薩様が上段階光の指導霊、明神様を光の天使、と呼んでおられまして、

如来様でありますところの上段階光の大指導霊はね

モーゼ様、お釈迦様、キリスト様、そしてもうお一方モーゼ様より以前に

アモン様と仰られます上段階光の大指導霊様がアフリカで教えを説いていらっしゃった。

なんてことをさらっと書いて下さっておりまして、


余りにさらっと過ぎて私も気付かなかったのですけど、

アモン様はつまり阿弥陀様なのですね。

そしてそのアモン様はきっと「信仰」について説かれていらっしゃったのではあるまいか、

と思うのです。

そうに違いないのです。


そうであってこそ、

アモン様の「信仰」(右足)

モーゼ様の「義」(左足)

お釈迦様の「慈悲」(左手)

キリスト様の「愛」(右手)

そして高橋信次先生の全てを統括した「正法神理」(頭部)

が全て揃うのですしね、

高橋信次先生の娘様の佳子先生を始めとして

様々な方が広め始めております「神理を生活の中に生かす」試みは

実は「胴体に相当するものではないかなと思うのです。
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by yskfm | 2011-09-20 10:00 | 第二部、神霊 | Comments(0)

身に備わりしもの

高橋信次先生はこのように教えて下さいました。


人が生きるために本当に必要なものであるのなら、

それは生まれた時に身に備わっているはずです。と


意思を伝える必要があるから口があって、耳があって、

栄養を摂る必要があるから胃腸があるのですね。


神様は、私たちが生まれてきても困らないように、

地上に必要なものを全て準備して下さった。


ところでね、祝詞と言いますものがございます。

この祝詞の効果は間違いないとおさんは確信しているのでありますけど、

ただね、これも生きるために本当に必要なものではないのです。

もしそうであるのなら、たとえば生まれた時から手のひらに祝詞が書かれているはずですし、

高橋先生はそういった呪文のようなものは一切唱えたりしていないと、

仰っておられるのです。


ですからここ暫くは私も祝詞などに頼らず口にせず、

正道を歩むことを心掛けているのですけど、


祝詞とか、そういった呪文等も明神様より下の世界でのことなんですね。

そして、それが祝詞でなくても、

光ある言葉には菩薩様や如来様が感応して下さる。

それも間違いのない事実なんです。


ただ、私は祝詞から入りましたけどね、

通過点として、それはそれで良いのではないかなと思うのですね。
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by yskfm | 2011-08-24 11:45 | 第二部、神霊 | Comments(0)

真の人

真に偉大な人は

決して自分のことを偉いとは思っていないでしょうし、地位や名誉、権力などに頼ることもありません。


あなたの真の友人は

決してあなたに何かを求めたりしませんし、頼ったりすることもありません。


真に強い人は

誰かに何かを強要することはありませんし、執着することもありません。


真に正しい人は

間違ったことを決して正しいとは言いませんでしょう。

それがどんなに親密な間柄でも、評価される人物の言葉でも、

その言葉の中の間違いを注意深く見出しますでしょう。


真に聡い人は

神の存在を知っておりますでしょうし、神の愛も知っておりますでしょう。

そして常に敬虔さを持ち合わせており、

やたらと神に頼ろうとはしませんでしょう。
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by yskfm | 2011-07-25 09:44 | 第二部、神霊 | Comments(0)

公園の木

公園の木にも色々ありますね。


敷地内にきちんと納まっている木もありましたら

枝を敷地の外にはみ出させてしまう木もあります。

それは公園の管理人が幾ら枝を引っ込めなさいと言いましても、

神様の命令以外は聴く耳を持ちませんね。


やがて枝をはみ出させたその木は、

枝を切られるか取り除かれてしまう。

まるで組織の中の人間のようではありませんか。


人も色々、木も色々、なんですね。

そしてそこに大自然の偉大な神理が存在し、

また人もそれに習うべきであると感じるのはおっさんだけでしょうか。


枝を伸ばした木も、敷地内にこじんまりと納まった木も、

それがその木の役割だと思うのですね。

そして木は管理人の言うことなどには耳を貸さない。


日照り続きの日もありましたら

雨の降り続く日もありますでしょう。

狭い了見で小さな自分の枠にとらわれて自らのことに終始して生きるのではなく

自らを捨てて命も全て神様任せなんですね。

大宇宙と一体となり自らでさえ客観的に捉えているのです。

そしてただその自らの役割を全うする。

これはね、如来様の尊い姿と全く同じなんですね。


自然に習い

人も時折に大きな自分に立ち返ってみる。

風の音、鳥の囀り、木々の雄大さ、

人もそういった大自然を身体と心で感じて一体となってみることでね、

忘れてしまっている大切なことを思い出せるのではないかなと

おっさんは思うのですね。
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by yskfm | 2011-07-24 06:33 | 第二部、神霊 | Comments(0)

今をどのように生きるか

今をどのように生きるか、

それは私たち一人一人に与えられた命題ではないかと思います。

難しい難しい命題であり、一人一人が学びの課程で都度答えを見出していかなくてはいけないものであると

感じます。


いくつかの問題が時折に生じて、都度悩み込み、

それでも心の強い人は勇猛果敢に人生に立ち向かって参りますでしょう。

そして心の弱い人は疲れ果てるのかも知れません。

ただ、神理といいますものを知っておりますと、それは私たちの強みになって下さる。

そう思います。


乗り越えなくてはいけない壁、

それでも心を澄まして全身全霊で取り組んでおりましたら、

自ずと答えは向こうからやって来て下さいます。

そしてね、そのために心といいますものが大きな役割を果たしておりますことも、

神理に触れたことのある人でしたら分かって下さいますでしょう。


日常生活でトラブルが生じる。

その時に、たとえばネットを離れてしまわれます方がいらっしゃいます。

ただ、ネット上の人間関係でありましても大切なものでございます。


幸せが、心の中から生じるものか、

それとも社会から与えられるものか、

それはね、勿論心の中から生じてくるものなんです。

その点に於きまして、人と人との繋がりは、決して疎かにできないものでありますように思います。


人間関係が億劫だと仰られます方もいらっしゃいますでしょう。

人と人との関係では必ずトラブルが生じる。

でもね、でもですよ、

自分自身に接するように人とも接する訓練ができておりましたら、

どこにトラブルが生じる隙間があるのでしょうか。

いえ、これは理想ですけどね、

難しいことですけど。


そしてまた、暮らしを演出する、といいますことも大切なことでありますように思います。

心を持って一つ一つ丁寧に生きる。

楽しみを見出しながら日々を悔いなく生きる。

それができるのは、他ならない自分自身なんです。

舞台だってそうでしょ?

ただ、演者がそこにいるだけでは、つまらない舞台でしかない。

演者はね、自分自身なのです。

そして観客もね、自分自身なんです。


それから、災害といいますような事象がございます。

三ヶ月前の大災害では沢山の方がお亡くなりになられました。

また、病気といいますこともありますでしょう。

人の死は唐突にやって参ります。

望むと望まざるに関わらず、私たちは死と隣り合わせに生きております。

それはね、

私たちは覚悟しなくてはいけないということなんです。

だからこそ一日一日を力一杯、言葉通り命がけで生きていなくてはいけないということなんです。


そして、死が早い人もおりましたら、遅い人もおります。

ただ、神が私たちを生かそうとするなら、

私たちはまだ生きておりますでしょう。

でも、そうでなければ、

私たちは元の魂の世界へ戻らなくてはいけません。

どんなに恐ろしくても、別れが辛くても、どんなに抗おうと、

それは動物たちと同じように人も身を委ねなくてはなりません。

そうするより他はないのですから。

そしてそれは、私たち自身が計画してそのように寿命を決めてきた。

ただ、私たちにできますことは、

天に帰るその時には、心清らかにいられますように、、、、、、、

天に戻りました折には、沢山の魂の友人たちに迎えられますでしょう。

それは私が夢に見た光景の通りなんです。

生かされているということは、そういうことなんですよ。


そしてね、

天に帰るその日まで、一日一日を有意義に生きること、

人には愛を以って、自分自身に接するのと同じように接する訓練にね、

前向きに喜んで挑んで行かれますことではないかと思います。


賢者の贈り物ってお話がありましたけど、

恋愛か否かは別として、愛するもの同士が心を込めて贈り物をする。

本当にその人のことを思ってする贈り物でね、

自分が相手にどのように想われているかが分かるのですね。


この世界は物質世界ですけれども、

生き物の本質は魂ですからね、

愛する気持ちが伝わり合うといいますことは、どんなに高価なものを贈り合うことよりも価値があるのですね。


そのようにこの世界を再認識してみて下さいましたら、

きっと私たち人類の向かうべき未来がはっきりと照らし出されますでしょう。

そして、過ち多き政治が過去未来何千年続こうが、

神霊は間違いなく適切なタイミングで時代を先へ進めて下さいます。

その時にね、

このような決して変わることのない神理といいますものに則した生き方をしておりますと、

どんなに楽に今生を渡って行けますことか知れませんね。


過去のまとめみたいな内容になってしまいましたけど、、、
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by yskfm | 2011-06-19 00:20 | 第二部、神霊 | Comments(0)

スピリチュアルの現状

少し前のことですけど、おっさんはこのような映画を観たことがございます。

ある企業がクローンビジネスを始めたのですね。

そうして世界各国の富裕層に高額でクローンの提供を始めるのです。

このクローンに感情はありません。

ですから、必要な時にこのクローンから必要な臓器を取り出して移植することもできますし、

それによってあなたが若返ることも可能です。

という建前で事業を発展させて行くのですね。


ところがですね、このクローンには勿論意思があり、感情がある。

必要のなくなったクローンが殺され、処分されることを黙って見ているわけはないのですね。

そうしてクローンの反乱が始まるのですけど、


医学界でも、最近はなんとか細胞からいろんな臓器を作り出すことができるそうですね。

そしてね、ここで忘れてはいけないことは、

こういった臓器にも、意思があり、感情があるのですね。

何故ならそれは創造神から生じたものであり、創造神に繋がっているからですね。

心があるからです。


少し考えてみて下さいね。

心がないのなら、無碍に扱っても何の問題もありませんでしょう。

でもね、心があるのなら、無碍に扱うことなんてできないと思いませんか?

感謝の気持ちがそこにあるべきではないかと思いませんか?

そしてまた、私たちの身体、臓器、細胞にも勿論心があるのです。


20世紀後半、高橋信次先生が世に正しい神理を残して下さいましてから後、

世界各国の様々な人々によって、さらに生活レベルにまでブレイクダウンされた

生活の中に神理を取り込むような気付きや究明が行われて参りましたように思います。

神理はどんどん新しいものに移り変わり、20世紀の神理、宗教観といいますものは、

もう、まちがいだらけで使い物にならない、といいますのが21世紀の現在の状況でございます。

もう、私たちが必要な殆ど全ての神理、スピリチュアルなことは正しく解き明かされているのですね。

それでも、ネット上などでは今尚20世紀以前の間違い多き情報が溢れ返り、

過ち多き宗教といいますものがもてはやされ、

勿論、正しい宗教がないわけではありませんけど、

まだそんなくだらないことを信じているのか、と驚くようなことが沢山あるのですね。

未だに霊の存在を疑う人がいらっしゃったり、


とある宗教団体の教祖などは、10次元の地球神霊、などと嘘八百をのたまわり、

多くの信者を欺いておりますけどね、

地球の魂も創造神の子供であり私たち人間の魂と兄弟でありますことは、

高橋信次先生の御本を少し深く読みこなせばすぐに判断できることではないかと思うのですけど、

指導する立場にあるものが間違った方向に教え導けば一体どういうことになるのか、

それさえも分からない可哀想な人なんですね。


もうすこし最先端の正しき神理に目を向けてみられましたら、と思うのですけど、

教祖を商売でやっているからなのか、センスがなさ過ぎるのかは分かりませんけど、

それが結局はご自身のためになるのですから、無駄なことではないと思うのですけどね。
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by yskfm | 2011-01-17 19:35 | 第二部、神霊 | Comments(2)

至高の選択

世の中には、自分のことしか考えない方がいらっしゃいますようで、

昨日も、市橋達也被告の遺族の両親に宛てた手紙の内容をテレビで知りまして、

私が私がで溢れ返ったその自分可愛さに呆れ果てていたのですけど、

反省できない人間はこうも反省することができないものか、と

深く考えさせられるものでございます。


そしてまた、

そういった自己中心的な人物には必ずといって良いほど強要癖があるものでございまして、

強引にも人に自分の考え方を押し付けて従わせようとする、

それが適わなければ攻撃を仕掛けて来る、

という人間性を現して来るものでございます。


攻撃しますでしょ、

それで勝利を得ますと勝ち誇った気分になれるのです。

そしてまた、しっぺ返しを食らいますといいますと、

こんにゃろ、と思うわけでございます。


どこかで魔の思う壺なんてことを書かせて戴きましたことがありますけど、

反省の機会を逃して、

心を修正する機会を逃して、

どんどんその攻撃性を増して行くのですね。

そうやって神様のお慈悲を無駄にするのですから、

魔物はほくそえむわけでございます。

「これで自分の宿主は今の状態のままで居て下さる。自分の棲家が奪われなくて済む。」

ってね。


いえ、他人事ではありませんよ。

たとえばね、攻撃を受けるケースもありますでしょう。

そういった自己中心な者から攻撃を受ける。

ご自身ならどのようにお感じになられますでしょうか?

少しでも、「こんにゃろ」、とはお考えになられませんか?

そうして攻撃し返すのか、

もっと聡い選択肢を選ぶのか、

それがね、究極、いや至高の選択ですよ。


力はね、必ず力で抑え付けられます。

何故、ここ十年で核保有国がこんなにも増えたのか、

ですからガンジーさんは武装することを望まなかったのですね。

少し高い次元から見てみましたら、

闘うことの虚しさにも気付きますでしょう。

ただ、同じ次元から見ておりますから、

「こんにゃろ」ってなっちゃうのですね。


万一攻撃を受けたとしましても、

最も聡い選択を、至高の選択を心掛ける。

それは勿論、逃げるという方法もありますでしょう。

ただ、なんでも逃げることが良いということでもありませんね。

膝を突き合わせて話し合う機会が持てるのでしたら、その方が良いでしょうね。

ただ、幾ら話しても理解できない人でしたら、

逃げちゃえばいい、って

おっさんはそう思うのですね。
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by yskfm | 2010-10-06 11:01 | 第二部、神霊 | Comments(0)

魂の絶対法則

私たちの中には魂というものがございます。

魂は、純粋な私たち自身なのですけど、

それが表面意識や脳の状態に影響されて、

本当の私たち自身が分からなくなってしまっているのですね。


魂はね、善人ですよ。

不満や怒り、憎しみ等の不調和で自己中心的な想念・感情が大嫌いで、

真摯で誠実、そしてとても努力家なんです。

魂は自然が大好きですね。

それは魂の声を聞いてみますと誰にだって分かりますよ。


一日一日をね、

魂の生きたいように生きるんです。

常に魂の声に耳を傾け、

魂に語り掛けて、

信念を持って一つ一つの想念行為を丁寧に行うのです。

ただ、間違ってもそれは自己中心的な考え方や不調和な想念ではありませんよ。

諦めでも、不安でもないはずなんです。

もしそういった考え方や想念が現れて来るのでしたら、

それは表面意識に存在する余り好ましくないものが原因ですね。

ですからその声に耳を貸してはいけません。

反省して表面意識を綺麗に磨かなくてはいけませんね。


そうしておりましたら、必ず変わって来るはずなんです。

環境とか、人生とか、

必ず良い方向に道が拓けて来るはずなんです。


それがね、昨夜書かせて戴きました内容の本質ですよ。
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by yskfm | 2010-04-05 22:22 | 第二部、神霊 | Comments(0)
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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