カテゴリ:第二部、神理( 104 )


高橋信次先生

私の唯一尊敬し師と仰ぐ先生の講演会の様子がユーチューブにUPされておりましたので

ここにご紹介しておきます。

世界で唯一正しい宗教団体でありましたところのGLA

ゴッドライトアソシエーションでしたか

今はその娘様がまた新しい道を切り開かれていらっしゃるようでございますが、


あ、何度も申しますが

当ブログの本体でありますところの開運の護符屋は

一年以上前に破綻し

私共は沢山の人を他力本願に導いてしまった罪で

今尚厳しい反省を強いられております。


詳細は一つ前の記事をご参照下さい。


まあそれはともかくとして

先生の講演会の様子を覘いてみて下さいませ。

一見の価値はあると思いますよ。

今以て物凄い光が出ておりますからね、

過去世を思い出される方もいらっしゃるかも知れない。

そうして私のサイトやこのブログとの共通点や整合性も

見出して戴けるのではないかと思います。


正しいことは正しいのです。

最近流行りのチャラいスピリチュアルリストとの違いも

はっきり分かって戴けるのではないかなと思います。


URLをね、コピペしてご拝聴下さい。

私はその全ての内容を理解しておりますから

ご不明点がお有りになられますようでしたら

コメントを下さいましたら私なりにご解説申し上げたいと思います。

勿論のことながら最低限の礼儀は求めさせて戴きますけれどもね。


では

https://youtu.be/w1bu7fd-sd8

https://youtu.be/Ji3ypPAR0eU

https://youtu.be/-d8nsl_l4mM

https://youtu.be/orX8J2c4huA

https://youtu.be/QDZUsVHPWdA

https://youtu.be/S3wonCm1F0A



(動画は一方的にお借りしておりますが、
先生のご意志は無償の愛が基本でありますので何ら問題はないものと判断致しております。)
[PR]

by yskfm | 2015-11-13 07:01 | 第二部、神理 | Comments(0)

人に必要な4つの能力

人には知性と理性、野生と霊性の四つの能力を鍛えることが大切であります。

知性、即ち記憶力や分析力、判断力、

理性、即ち感情を管理しコントロールする能力、愛と慈悲を具体化させる能力、

野生、即ち身体を鍛え心身を調和させる能力、

霊性、即ち身体の執着を離れて魂的視点を獲得する能力、


これもね、偏りすぎてはいけませんね。

知性に偏りすぎれば頭でっかちになりますし、

理性に偏りすぎますと理想主義者に終わってしまいます。

野生に偏りすぎて身体能力ばかり鍛えれば血の気が多くなり、

肺や心臓の病に苦しむことにもなりますでしょう。

霊性ばかり鍛えるのは宗教オタクですね。


さりとて、知性を鍛えなくてはおバカになっちゃいますし、

理性を鍛えなくては愚か者になっちゃいます。

ネット右翼などと呼ばれる連中はこの理性に欠けているからですね。

野生を鍛えなくては行動力や実行力が弱まりますし、

霊性を鍛えなくては運気や閃きに劣りますでしょう。


まあ最近になってようやく、

知性と理性を合わせたものを智性と云うのだと気づいたおっさんでありますけれども、


中道って大切ですやん。

そうして霊性を鍛えるにはある程度の(中道の度を越さない程度の)我慢、

それと中道の生活習慣、中道の判断、中道の条件反射、

客観的視点に基づいた内観や反省、

そういったものが大切でありますように思いますね。


それとね、最後に感謝と調和ということ、

まあ、おっさんは最近色々ありましていじけ虫になってしまっておりますけれども、

どこの宗教団体もその信者の多くが動物のような顔つきをなさっていらっしゃる。

感謝が足らないのか、

知性が足らないのか、

理性が足らないのか、

野生が足らないのか、

霊性が足らないのか、

は存じませんけれども

どこかに調和に欠けるところがある故だと思いますね。


まあ、最近は天理教の拍子木を力任せに叩く騒音公害の迷惑極まりない爺さんを

あちらこちらで見かけますけれども、

あれはタヌキですね。

間違いなくね。


[PR]

by yskfm | 2014-05-02 11:12 | 第二部、神理 | Comments(0)

畏怖するということ

畏怖するということ

神に対してかしこみ怖れるということ

これは決して怖がらせるのではありませんね。

威厳と力量を感じるということなんです。

威厳を示し怖がらせて押し付けたりするのではなくてね、

護られる、という安堵感なんです。


たとえば世の中には力量があってかなくてか、

やたらと威厳を示したがる輩がおりますね。

どこぞの大企業のお偉いさんなどは特にそうではないかと思いますけど、

組織を離れてまで威厳を示そうとするのは只の乱暴で恥ずかしい人ですね。

あはははは


乗った積りの大舟の怖ろしさかな


一方的に与えられ威厳を示し怖がらせる。

その怖ろしさは心に抑圧と歪みを生じます。

でも創造神の畏怖とはそれとは全く別物なんですね。

それは与えられるのではなくて自ら感じる怖れであって、

怖れるからその力強さに安堵し、尊敬し、崇拝するのです。

護られていることを実感するのです。


おさんはそのように思いますね。


[PR]

by yskfm | 2014-01-20 09:01 | 第二部、神理 | Comments(0)

心行

今ここに心行というものがございます。

故、高橋信次先生の残して下さいました神理正法の結晶と言うべきものでありまして、

尊い尊い教えでございます。


これに日々努め想念の浄化と深き反省と神理正法の実践を積み重ねることで、

恐らく悟りへの道は拓かれるものであろうと思われます。

そしてまた、今のおさんなら充分深い理解ができるのではなかろうかと思うのです。


今、このままどうしようもない人生を死ぬまで続けるか、

えいやあと思い切り良く悟りへの道を邁進するべきか、

非常に悩み苦しむところでありますけれども、

あはははは


この心行はね、

高橋信次先生の「心の原点(三宝出版)」という書籍に掲載されているものでございます。

悟りが拓けるというだけではありませんよ。

それで心が浄化されましたら人生の様々な苦しみもなくなりますでしょうし、

心も軽くなりますでしょうし、

周りの環境さえ良くなって参ります。


まあ、金回りがどうとか、恋愛が上手くいくようになるとか、

そこまでは保障できませんけどね。


さて、どうするかなあ。。。。。。


[PR]

by yskfm | 2014-01-16 18:30 | 第二部、神理 | Comments(0)

見方を変える

お釈迦様がね、

ある時一人の弟子に、

「おまえ、苦しくないか?」

とお尋ねになられまして、

そのお弟子様は、

「はい、苦しいです。」

と答えられた。

「執着を持つから苦しいのだ。」

お釈迦様はそのように訓えて聞かせたのですね。


モノの見方は多種多様でございます。

視点を変えるだけで、

発想を変えるだけで、

考え方を変えるだけで、

あらゆるモノゴトは全く異なって見えるものでございます。


例えば愛する人との別れは、

制約がなくなって自由になるということ、

次の一歩を踏み出せるということ、

例えば病は己と向き合う絶好のチャンスであり、

生活習慣を見直す素晴らしい機会でもあります。

例えば死は旅立ちであり、

この世に生を設けるのと表裏一体を為すもので、

祝福に値することではありませんか。


それが執着を持ってしまうことで、

心は苦しみに繋がれてしまうのです。


ですからお釈迦様はこのように申されましたね。

「照見五蘊階空 度一切苦厄」

五蘊:色(身体)受(感覚)想(想念)行(行為)識(意識)

と苦厄は皆

空(心)から生じるものである。

ってね。


[PR]

by yskfm | 2013-11-08 12:19 | 第二部、神理 | Comments(0)

創造神の想い

創造神が今の人々の価値基準、政治の方向性や社会の在り方を良しとされていらっしゃるのか、

それはね、考えるまでもなく間違いなく「No」なんです。


天に唾すれば落ちて来る。

工場ばい煙や工業排水を垂れ流し、放射能を撒き散らすなら、

大自然は人類の住処を平気で奪いますでしょう。

それと同じことなんですね。


人間が住みにくくなるなら、

環境や社会、政治が人の住み難い環境を生み出し、

少子化や凶悪犯罪、自殺や病、貧困を招くのなら、

それは創造神の意識に反する方向性だから不調和が生じてひとが住み難くなったのです。


そういった作用と反作用の法則によって、

創造神はずっと人類を導いて来られたのですよ。

宇宙が誕生した時から神は何一つ変えることなく、

私たちの進むべき道を照らして下さってきたのです。


神が不完全な人間を創った?

神が不完全な社会を創った?

勘違いしてはいけませんよ。

神は完全なシステムを創造し、

その上に人類に自由を与え人間社会を構築することを許して下さったのです。


人が住み難い社会を創造しようが自ら魔物となって奪い合い憎しみ合い地獄に落ちようが、

創造神が人類に自由と責任を与えて下さいました以上は人間たちの責任であり、

神は絶対に手を出すことができないのです。

お慈悲で手を出して助けて下さるのは創造神ではなく霊界の高きところにある霊的存在でありましょう。

ただ創造神の人類に対しての想いは親が子の幸せを願うものと何一つ変わるものではありませんよ。

いや、人類だけではなく、全ての存在、全ての子供たちに対してそうなのです。


人類はね、ですからすべてを理解し、

神が良しとされる方向に向けた社会の建設を、

政治を、環境を、国交を、未来への歩みを、

調和の中に行うべきであると思いますよ。

遅いかも知れませんけどね、

それでも一人一人が認識して、妥協することなく正しいあり方を考え努力していくことで、

必ず人類は素晴らしい未来を手に入れることができるのではないかなと、

私はそう信じておりますよ。

はい
[PR]

by yskfm | 2013-06-25 17:02 | 第二部、神理 | Comments(0)

善に徹する

善に徹した生き方をして下さい。

そうすれば必ず神仏は護って下さいますでしょう。

決して神仏を疑ってはいけません。

私たちは誰もが神様の子供なのです。

ハズレの子供なんか一人だっていないのです。


そしてまた、どんなに辛い状況にありましても、

辛い辛い、苦しい苦しいと言って生きるよりも

楽しい楽しいと笑って優雅に生きる方が良いに決まっているじゃないですか。

心に愛と感謝を抱えて調和の中に生きる方が良いに決まっているじゃないですか。


それもまた、ひとつの善的な要素ではないかと思いますよん。
[PR]

by yskfm | 2013-04-13 09:52 | 第二部、神理 | Comments(0)

光の天使と闇の住人

自己中心的な想念で攻撃したり主張したりする者は光の天使であろうか?

私はこのように考えます。

光の天使は決して自己中心的な想念では争わず、闘わない。


生まれた時には誰もが光の天使でありながら、

環境や地上の厳しさに煩わされて堕落してしまうのです。

ですから地上は闇に支配され、

更に多くの光の天使が迫害され、堕落して行くのですね。


体罰、

虐め、

虐待、

DV、

詐欺、

半グレ、

宗教、

ビジネス、

社会の仕組、、、、、


全ての根源に闇の住人による光の天使への攻撃、迫害の構図があるように思います。


自己中心的な想念で、

攻撃し、

迫害し、

強要し、

強奪し、

権利を侵害し、


そうしてその稚拙な判断で自らを勝ち組と位置付け、

自らを高きに置き、

その考え方を恥じるどころか決して省みようとはしないのです。


俗に言われます障害者を、

その一際高い志を持って生まれて来た光の天使でさえ、

「障害者」と呼び、その外見的な判断で劣った者と看做すのです。


でもね、

この世的な価値観は決して天(実在界)では通用しませんからね、

死後には必ず厳しい反省を求められるか、魔物になるか、

間違いなくそのどちらかであろうと思いますよ。
[PR]

by yskfm | 2013-02-05 10:05 | 第二部、神理 | Comments(0)

中道を考えてみる

たとえばね、宗教家とか、スピリチュアルリストを目指そうとなされます方の多くは

このような考え方をなされます。

「私は、無私に徹して社会や人のために尽くすのだ。」

これはね、勿論素晴らしく尊い考え方であるように思います。


また一方で次のように主張なされます方がいらっしゃいます。

「自らの生活基盤さえ確立できていない者がどうして社会や人のために尽くせるのか?」

ってね。

どちらも正論であるように思われます。


さて、皆様はどのようにお考えになられますでしょうか???


思いますに、無私に徹して、

これでは命の限り生き抜かなくてはいけない、という神霊の法に違うことにもなり兼ねませんね。

かと申しまして自らの生活基盤の確立に目が向くばかりに、

自分本位の考え方に終始するようでありましても、

人生上手くは回りませんでしょう。


生活基盤の確立も当然のことながらそうなのですけどね、

この世界では人のため、社会のために尽くしてこそ成長できるという面もありますからね、

やはり客観的に見て自身のことが50%、社会や人のことが50%

そうであってこそ中道ではないかなと思いますね。


さて、教師の体罰で学生が自殺するという事件がございました。

校長はどうも体罰を隠そうとしたふしがあるようですね。

世論は今、体罰排除の方向で動いておりますように見受けられます。

そうして、公共の場所での体罰が無くなりましても、

私的な場所、たとえばご家庭や私設の何らかの施設ではまだまだ、

体罰や虐待、虐めや暴力が続きますでしょう。

それは国の政策の不備に起因するところもありますでしょうし、

社会を構成する人々の、人を責めるばかりで自らに映して省みないところもありますでしょう。

誰だって校長の立場になりましたらきっと隠蔽するのです。

或いは我が子が苛めっ子でありましても、その子をかばおうとするのです。

我が身可愛さで自らに甘い判断を下してしまうのです。


ただそこには、人のため、社会のためというよりも、

自分目線、自分本位の方が遥かに大きな割合を占めているからなのでしょうね。


自らを疎かにすることもいけないし、

自らに終始することもまた、業を増やし、苦しみを増やすだけなのですから、

やはりそこは客観的な視点での中道の在り方が必要なのではないかな、

とおさんは考えるのでございますよん。


ばいなら
[PR]

by yskfm | 2013-01-11 10:49 | 第二部、神理 | Comments(0)

この世の理

神様が死ねというなら黙って死ぬさ

小賢しく立ち回ったり

卑怯に逃げ回ったり

命乞いしたりするようなおバカじゃない

だからこそ

信念を持ってさ

たとえ神様にでもたて突くことができるのさ

おそれない

自己保身を抱えない

覚悟するってぇのは

そいうことなんだと思う

そうなればさ

誰もあなたを攻撃したりなんかできなくなるさ

そんでもって

あなたはあなたの好きなように生きることができるじゃないか

命の枠を超えてさ


4次元世界の表面

りんごの皮のところさ

5次元世界ではいっちゃん底の面

6次元でいうところの

底の面を構成する一つの細胞

7次元でいうところの

底の面を構成する一つの細胞の表面

8次元でいうところの

底の面を構成する一つの組織の中の一つの細胞

9次元でいうところの

底の面を構成する一つの組織の中の一つの細胞の表面


その最も次元の低い最も単純な世界

三次元宇宙

大宇宙大神霊体の事象全てが現象となって現われる

物質界

だからこそ

最も苦しみの多く存在する世界

喜びも苦しみも怒りも悲しみも

大いなる影響力を持って魂に訴えかけてくるこの無常の浮世でね

まあ、所謂ところの戦争の最前線さ

執着する価値の微塵もない世界なんだ

そんな中でね

ナニモノにも動じずに強く生きてかなきゃ

損じゃないかなぁ

って思うのさ

いやほんま
[PR]

by yskfm | 2012-12-03 11:29 | 第二部、神理 | Comments(0)
line

日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


by yskfm
line
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31