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数年前

数年前、公園でsapioという雑誌を読んでおりました時のことでございます。

つかつかと男の子が寄って来て、ほいと何かを手渡すのです。

新聞のようなもので、何も考えずに受け取りますと、

今度はその親がやってきてその代金を請求するのですね。

後で、それがエホバの証人という団体であることを知りました。

子供は純粋ですからね、すぐに洗脳されてしまいます。

自分たちの宗教は正しいのだと本気で信じている。

そうして素晴らしいことをやっているのだという自覚で、

知らぬ間にそういった詐欺行為の実行犯になってしまっているのです。

子供には罪はないのです。

そうして、子供の人生はたとえ親でありましても自由に捻じ曲げたりしてはいけないのです。

それから、

私の臭覚が異常ではないのでしたら良いのですけど、

その印刷物からは強烈な死臭がしたことを覚えております。
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by yskfm | 2009-01-30 08:40 | 第二部、大地 | Comments(0)

私の住んでおります街は大阪湾から3キロほど離れた、

大阪にしては田舎の何もない街でございます。

新大阪や大阪梅田から2キロほどしか離れていない街なのですけど、

田舎なのです。

もう、本当にね、何もない。

ただ野良猫ばかりが繁殖しております、

でもかなり闇の宗教に汚染された街なんです。

街を歩いておりますと良く話し掛けられたりするのですけど、

これは間違いなく宗教の勧誘目的なんです。

また、見知らぬ人から挨拶されることも多いのですけど、

これは今もってその理由が分かりません。

「あ、こんにちわ」、「はあ、どちらさまでしたっけ」って感じでね、

それが小さなお子様であったりするのですから、もうわけがわからないのですけど、

こんな街でも素敵な場所がありましてね、

大きな河が流れておるのです。

淀川の支流の、神崎川っていうのですけど、

汚い川です。

それでも水鳥やカモメ、名も知らぬ鳥が沢山生息しているのです。

おまけに蝙蝠までいますからね。

それから毎夜訪れております小さな公園もね、

沢山の樹が植えられておりましてね、

時間がありますと、そこいらを散歩致しております。

宗教さえ蔓延っていなければ良い街なのですけど。

いえ、私は宗教が嫌いなのではないのですよ、

間違ったことが嫌いなのです。

人を不幸にするものが嫌いなだけなのですよ。

勿論、教義に誤りのない宗教でありましたら全然構わないのですけど、

私にさえ判るほどの、明らかに間違った低次元の教義で人を騙しているのですから、

なんだかなあって思うのでありましてね、

まあ、騙される人も騙される人なんでしょうけど。

この美しい世界を、

私の周りの素晴らしい住環境を、

闇の想念で破壊しないで欲しいものだと思うのですね。
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by yskfm | 2009-01-29 08:40 | 第二部、大地 | Comments(0)

長野のバラ

昨夜は3時頃まで頑張っておりまして、

疲れて眠りに入りますと、暫くしまして、

「長野のバラなら、たちのうちだよ」

という歌が流れて参りまして、

おやおや、今日は夢で薔薇のCMですかいの、と思っていたのですけど、

長野は薔薇の生産地なのでしょうか?

たちのうちさん所の薔薇が有名なのでしょうか?


公園のこぶしは、まだつぼみかたし、です。
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by yskfm | 2009-01-29 07:58 | 第二部、夢 | Comments(0)

恵方巻きの正しい作法

えー、まあ、そういうことでね、

恵方巻きの正しい食らい付き方なのですけど、

今年は東北東のようですね。

東北東と云いましても、真東の、ちょと北寄りの方角なんですけど、

そこに歳徳神様がいらっしゃるのですね。

で、なんでその方角を向いて恵方巻き、

つまり巻き寿司の太巻きを食らい付かなきゃあかんのか、は存じませんけど、

大きな口をあけて、お前なんか齧ってやるぞという意思表示をするのでしょうね。

その年の悪いもんが来んように、

「来たら噛み殺してやっかんな」ということなのだと思うのですけど、

もしそうなのでしたらね、

これはもう大きなめんたまで悪いものを睨み付けて、

「齧ってやるぞ」って気持ちで大きな口をあけて齧り付く、

そうしますとね、悪いものも怯えてこっちには来なくなるってなことになるのですね。

でも逆にその年の良い作用を噛み付いて自分のものにするってな考え方もありますよね。

としますと、太巻きは良いものなんです。

ですから口一杯に頬張って食べるのが宜しかろうと思います。


大きなめんたまで悪いものを睨み付けて、「噛み殺すぞテメ」、

その一方でこれでもかってほどにその年の良い作用、幸運に

お口いっぱい食らい付いて頬張るのですね。

そのようなお心構えが良ろしかろうと思います。


あ、食らい付くのは2月3日ですよ。
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by yskfm | 2009-01-26 18:39 | 第二部、大地 | Comments(0)

アナログ放送からデジタル放送へ

アマチュア無線なんてものが流行っておりました時代がございました。

今はどうなのかは知りませんけど、

私も免許を持ってはおりますけど、

そんなわけで多少は電気や電磁波といったものが分かります。

いえ、ほんの少しだけなんです。

でね、例えば交流電源から電気を取りましてコイルを繋いだとします。

そうしますと、交流ですから、右からコイルへ電流が流れまして、

次に左からコイルへ電流が流れる、といったようなことを繰り返します。

回路がね右から、左から、右から、左から

くるっくるくるっくると電流が流れる共振回路になるわけです。

でも、コイルは交流の電流を通さないのですね。

そこで電流が消滅してしまう。

実は、それはコイルの特性でね、

電流が流れようとするのを妨害する向きに電磁波が生じるからなんです。

その電磁波がね、空中に放たれましてね、

フレミングの法則で磁界が電界を作り、電界が磁界を作り、

電磁波、つまり電波が空中を伝わっていくのですね。

これは理系の人でしたらご存知のことだと思いますけど、

ですから電化製品の近くでラジオなんかを聞いておりますと、

ブーン、って言うでしょ?ブーン、って。

コイルがアンテナになるのですね。

逆にコイルを電波が飛びやすいように改良したものがアンテナなんです。

でね、その回路に声の信号を乗っけるのです。

トランジスタなんかで信号を増幅しましてね。

マイクなどは音の振動を磁力で取り出して電流に変えるデバイスですね。

そうしますと、声が電波となって飛んで行くのですね。

デジタル放送はね、その信号が1と0なんです。

波があるかないか、あったら1、なければ0。

波形の崩れた信号を1と認識するのか、0と認識するのかは、

機器によりましてその程度が異なりますでしょうけど、

最近のデジタル技術は凄いですね。

その信号の波形をさらに幾つもまとめて別のもっと周波数の大きな波形に乗せて

送信したりしておりますようですね。

(ちなみにこれはサブリミナル音楽の波形もそうなのです。

音楽の波形の上に声の波形が乗っているのです。)

でもね、基本が分かりますと何も難しいことではないのですね。

まあ、その基本に幾つもの智恵の積み重ねがありまして

デジタル放送も実現しているのですけど、

神霊の分野も同じように智恵の積み重ねで解明していくことは可能なんです。

さて、人間の科学は神霊を解明するまでに至りますでしょうか。

どうでしょ。
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by yskfm | 2009-01-25 03:37 | 第二部、大地 | Comments(0)

演じる

今日は中村勘三郎さん一門の歌舞伎のドキュメント番組を拝見しておりました。

やっぱり歌舞伎は良いですねえ。

どうすれば演技に説得力が生じるか、

本当にあるのですね。説得力の生じる動作といいますものがね。

それはまるで言霊の動作版のような、

味があって美しく、しかも説得力を与える動作なんです。

光なんでしょうね。

魂から演じるから光が出る。

それが所作の美しさと相まって観客が感動するのですね。

まず形を練習して、

何度も練習して身につけて、

それが自然にできるようになりましたら、

今度は全身全霊、心で、魂で演じることを身に教え込むのですね。

だから伝わるのです。

見栄えだけでしたらこうは伝わっては来ないのですね。

そうして勘三郎さんのように名人クラスになりましたら、

すっと役に入り込む、

役の人物に成り代わるのですね。

きっと演じております時は、観客を喜ばせたい、その一心なんでしょう。


歌舞伎も人を喜ばせ、人を癒すものなんでしょうね。

そうしてまた、正法、神理といったものも、

人に癒しと安らぎ、幸せをを与えるものだと思います。

精進の道にありましては、どちらも本質は同じなのですね。

正法、神理を人に伝えたい、

歌舞伎の素晴らしさを伝えたい、

そうして人に伝えて欲しい、

そこに関わる者の想いは、どの道にありましても同じなのだと思います。


歌舞伎。

本当に素晴らしいものですね。
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by yskfm | 2009-01-24 02:25 | 第二部、大地 | Comments(0)

御徴、その2

先日、十日恵比寿の宵恵比寿で戴きました御徴の意味が

今になりましてようやく分かりました。

あの時に何を伝えて下さろうとしたのか。

私達の一番身近に居て下さっております神様は明神様でございます。

お金のことも、

恋愛のことも、

如来様や菩薩様は尊過ぎて滅多なことではお力添えが戴けない。

でも明神様は別なのですね。

ちゃんとお力になって下さるのです。

そうして、明神様にお願いする方法が、祝詞なんです。

祝詞の力は以前から感じておりますから、

祝詞をもっと活用することをやってみようと考えていたのですけど、

ですから、やってみなさいと、仰って下さった、

御徴を与えて下さったのだと思うのです。

商売繁盛の祝詞、

恋愛成就の祝詞、

良いと思うのです。

考えてみようと思うのです。

もっと善くなりますように、

皆様がもっと幸せになれますようにね。
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by yskfm | 2009-01-20 11:03 | 第二部、今生 | Comments(2)

業を生む輪廻と調和に向かう輪廻

今の社会は不調和な状態にございます。
ですから、万人に理不尽な出来事に遭遇して心を歪めてしまうリスクが襲い掛かります。

理不尽な出来事に遭遇して、多くの人はこのように考えますね。

「周りの環境が自分を認めて下さらない。」
「周りの人が自分を分かって下さらない。」

実はこれがね、輪廻を生じさせる間違った考え方、
マイナス思考の極みでありますことにお気付き下さいませんといけませんね。

こういった考え方は心を腐らせてしまい、
さらに悪化しますと、自暴自棄、暴力的、自虐的、酒に溺れる、といった状況に陥ります。

人との関係も強引になり、次第に孤立して行くことになりますね。

そうして寂しさから心にぽっかり穴が開いたような状態になりましてね、
そこに地獄霊がつけ込み、人生を狂わせて行くのですね。

そうなりますと、最初の、「周りの人が・・・」という気持ちがさらに強化されて生じて参ります。


業を生む輪廻ですね。
これが人生を狂わせてしまうのですよ。


この世界では、誰もが未熟なんです。
未熟ですから、一人が理解されることを求めますと、
周りの皆も求め合うようになってしまいます。

それがね、周りの環境を悪化させて地獄を創り出してしまうのです。


求めるのではなく、与えること。
神理を知って、或いは神理に気付き、心を立たせる。


そうしましてね、
自分のことはまず横に置いておかれましてね、
こちらから理解して差し上げよう、
皆のことを分かって差し上げよう、与えて差し上げよう
とするのです。

そうしますと、その気持ちは
思い遣り合い助け合う暖かな人間関係を生み出しますでしょう。

そうして次第に相互理解が深まりましてね、
皆が幸せになれるのです。


こちらは業が消えて調和が生じる輪廻ですね。


子育てだってお子様に求めるばかりでは正しく育っては下さらない。

求めたり、奪ったりするのではなく、まず与えること。
大切でございますよ。
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by yskfm | 2009-01-19 17:56 | 第二部、神理 | Comments(1)

やわらか心で人は幸せになれる

と、そう思うのです。

やわらか心、

それはどんな心かと云いますとね、

ごめんね~

とか

ありがとうね~

とか

誰にでも心を込めて云えるような心ですね。

口が先でも心はついて来ますからね、

嘘でもいいからそれが云えるようになりますと、

人はぜ~ったいに幸せになれるんです。

心を込めて云えるようになりますと、さらに感情が篭ります。

感動して、悦びに震えるようになります。

心の自由度がアップして感受性も豊かになりますし、

魂も綺麗になります。

周りの環境も整って参ります。

様々な善い影響が現れて参ります。

難しいですけどね。

やわらか心はやわらか豆腐を作るより何千倍も難しいのです。

勇気が要ります。

人を赦す気持ちが要ります。

信頼する気持ちが要ります。

愛が要ります。

神様への義が要ります。

神様の光なくては絶対になしえないことなんです。

でも、できるようにならなくてはいけないのです。

調和社会の住人となるためには必須課題なのです。
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by yskfm | 2009-01-19 14:52 | 第二部、未来 | Comments(0)

大きな力

そうです。大きな力ですね。

以前に、「覚悟」ということについて書かせて戴きましたけど、

人には誰でも大きな力が働いておりますことは、

疑いようのない事実なんですね。

その力には幾ら逆らっても、あがいても、どうにもならない。

ご自身を内面から強く揺さぶり、

まるでベルトコンベアーのように運ばれて行く大きな力。

それは「覚悟」することにより、よりスムースに運ばれて行くのです。

じたばたしない。

心を研ぎ澄まして、その大きな力に身を任せるしかないんですね。

そうして、定められた場所、

それはご自身が生まれる前に前世で定めたご自身の使命、学び、修行の内容なんです。

ただ、不調和な想念や行為、生活はその到達を遅らせてしまいます。

人生、

誰の人生でありましても、

思い起こしてみますと似たような現象が繰り返し生じておりますことが分かります。

そこに意味があるのです。

ばらばらな出来事のように思えても、根底では繋がっているのですね。

ひとつのひとつがたったひとつの氷山の一角でしかなかった、

そうして大きな力は間違いなくそこに導いて下さろうとしているんです。

そうして、目的地点まで到達しますと、

やがて全ての現象の謎が解けて参ります。

そこからが本当の人生なのでしょうね。

人と人、

誰の人生にもその人が今に至る過程がございます。

過去世から現在の今に至るまでの、国や生まれ育った環境、

両親や兄弟、どのような仕事をして、どのような思想を持ち、

どのような経験を積み重ね、どのような信仰をして来たのか、

そうして今生でご縁を得てありえない確立で出会うことのできた友人なんです。

学びのために現れて下さったのです。

それに気付きますと人間関係もまた違ったものになって来ると思います。


昨夜、私の魂は就寝中にもの凄く偉大な方を訪ねておりました。

私は子犬程度の大きさでね、子犬とじゃれあって遊んでいたのですけど、

その人は私の何倍も大きなお姿をしておりましたよ。

で、私のことでどこかに電話して下さっておりました。

実在界にも文明はありますからね。

地球の文明よりも遥かに進んでいる文明ですよ。

で、その電話の相手の方が、

同じく巨大な、

長い黒髪で鼻の高い、美しい女の人でありまして、

ショールをもてあそびながら、

「ぼしぼし、あ、そうでずべえ」と鼻詰まりのような声で楽しそうに

電話の応対をされておられました。

電話の相手が見えるのですね。あちらの世界は。

で、目が覚めますとそんなことをぼんやりと考えていたのです。

「光の扉」

なんだかそんな言葉が頭の中に残っておりました。

さて、私もさらに大きな力でこれからも運ばれて行かなくてはいけません。

覚悟して、素直な心で、無理をせずに頑張って参りたいと思います。


無理をせずに頑張る。

これは大切なことでございますね。

今生の使命や学び、修行の目的から外れたことは幾ら頑張ってもどうにもならない。

上手く行くはずがないのですね。

ですから、素直な心で、覚悟して、

その大きな力を信頼して、進んで参りたいと思うわけでございます。
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by yskfm | 2009-01-18 06:08 | 第二部、今生 | Comments(0)
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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