貧乏ゆすりに見る道理

おっさんは、若い頃、貧乏ゆすりの大家でございました。

貧乏ゆすりに関しては、誰にも負けない。(笑)

ところがおっさんも次第に気持ちに余裕が生じて参りまして、

最近は全くそのような現象が生じないのですね。


貧乏ゆすりがどのような原因で生じるのかは分かりません。

でも、環境に対応するためのものであったり、

精神を目の前の事象に対応させるために自然に生じる現象でありますことは、

察しが付きます。

また、全ての現象は、原因があって必然的に生じるものですから、

貧乏ゆすりを頭ごなしに悪癖と決め付けることは正しいことであるとは言えないのではないかと、

おっさんは思うのですね。


ところで先日、ネット上にこのような記事が掲載されておりました。

「職場の隣の席の人の貧乏ゆすりが気になってイライラするのですが、

注意して止めさせる良い方法はないでしょうか?」

これは一見、正しい考え方でありますように社会認識されているのかも知れません。

でもね、事象を分解して考えてみますとしますと、

これがチンピラさんと同じ部類の「因縁を付けている」のとなんら変わりのない考え方であることが分かるのです。


事象1.職場の隣の席の人が貧乏ゆすりをする。

事象2.イライラする。

事象3.注意して止めさせたい。


事象は一見これだけのように見受けられますけどね、

実は、事象1と事象2の間に、

自分自身の精神が過敏である。という事象が抜けてしまっているのですね。

その人の精神が過敏であるから、イライラするのです。

チンピラさんもね、肩がぶつかったから骨が折れたのではなくて、

チンピラさんに目的があって故意に肩をぶつけたのであり、

チンピラさんが過剰反応する必要があって、骨が折れたと主張しているのですね。


ですからね、やはり、

「職場の隣の席の人の貧乏ゆすりが気になってイライラするのですが、

注意して止めさせる良い方法はないでしょうか?」

は、チンピラさんと同じく、因縁を付けているのです。

それがもし、正しいとされるのでしたら、

「職場の隣の人のブサイクが気になっていらいらするのですが、

注意して整形させる良い方法はないでしょうか?」

という理論も正しいものになってしまいますでしょう。


ですからね、決して間違えてはいけないことは、

ご自身の精神や心の動きは全てご自身の中に責任があるのです。

それを周りの人の責任にして、行動や想念を規制したり強制したりすることは、

決して正しいことではないのですね。

まあ、お願い程度でしたら構わないとは思いますね。


「あの、私は精神が過敏であなたの貧乏ゆすりが気になって仕方がないのですけど、

私の精神の不調和を棚に上げてあなたにこんなことをお願いすることは

筋違いであることは分かっているのですけど、

もしできるようでしたら可能な範囲で貧乏ゆすりをしないようにして下されば嬉しいです。」

って感じですね。
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by yskfm | 2010-03-14 01:48 | 第二部、大地
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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