業を生じる境界線

スピリチュアル、というような言葉は余り好きではないのですけど、

スピリチュアル、つまり神霊の法の観点から見まして、

業を生じてしまう絶対にしてはあかんこと、と、

あかんくないことが、存在しております。

さて、その境界線はどこにあるんかいな、というお話でございますが、


私たちは修行のために生まれてきて、自由に生きることが許されているのですね。

それはどのような人生でも、そこに学びがあり、無意味なことなどこれっぽっちもないのですから、

たとえ、ギャンブルに溺れ、酒びたりの堕落した人生でありましても、

それはあかんことではなくて、あかんくないことなのですね。

勿論その反作用はご自身に返って参りますでしょうけど、

それはその人の選んだ人生なのですから、神霊は何も言わない。

おうおう、そうかそうか。まあ楽しんで帰ってこいや、って感じですね。


ところがね、それで意識を混濁させて人に迷惑を掛けようものなら、

自分の範疇を超えて人まで思い通りに利用し、強制し、人の人生を妨害し、自由を奪おうものなら、

それはそれで深い業が生じますね。


いえ、自分自身の内側のことでしたら、構わないのです。

内側に地獄を抱えておりましても良いのです。

勿論、自殺はいけませんけど、それ以外のことなら自由なんです。

そうしてその自由は人に対しても認めて差し上げなくてはなりませんね。

与え合わずとも構わないけれど、奪い合うようでしたらいけませんね。

ですから、話し合いを超える接触は同意がない以上は許されないのです。

話し合い、というコミュニケーションが大切になって来るのですね。


ですから、そうしております以上は、業を抱える心配はないのですね。

業を来世まで引き摺ったりする必要もなくて、

今生のことは今生の反省の中で、神様への懺悔と当人同士の謝罪と赦しの中で収束するものなのです。


それが、欲のために、自己保存や自分本位のために、人に求めてしまう。

互いに存在を認め、自由を認め合うことを忘れて、自分だけではなくて人にまで苦悩を強いてしまう。

そこから、業は現れて来るのですね。

業はね、来世に残した宿題ですね。

今生で全て清算するのか、

来世まで宿題を残して来世はマイナスのところから人生を始めるのか、


人類の業もね、深い深いのです。

ちょっとやそっとでは消せない業があるのだそうです。

そりゃ人きり包丁振り回していたのだから仕方ないのかも知れませんけど、

だから私たちは今苦しんでいる。


でも、もう同じ過ちは繰り返さないことだと思いますね。
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by yskfm | 2010-03-17 15:09 | 第二部、魂
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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