少しですね、色と云いますものについて考えてみようではあーりませんか。

色はね、別に大自然界に色が存在しているわけではないのです。

原子の組み合わさった様々な色のない物質と、

そこに太陽から送られてくる光の素粒子が振動しながら溢れ返っている、

それが地球と言う惑星なのです。


その光の様々な波長を様々な色として捉えることのできる瞳、

それは全ての命の中のほんの何割程度の命に与えられたものなのですけど、

その瞳がありませんと、そこに幾ら眩いばかりに輝くダイヤモンドがありましても、

気付かない。

大自然界の美しさだって分からない。


原子の構成物でありましても、

それに触れて感じることのできる身体があるからこそ、

触れることもでき、認識することもできるのです。

そうでなければ触れることさえできないのですね。

素通りしてしまいますね。原子の間隔は物凄く、原子の大きさに比べて天文学的に広いのですから。

それに、原子でありましてもエネルギーの振動に過ぎないのですから。


神の子供であるからこそ、この身体が与えられたのです。

神の子供であるからこそ、神の意志をこのように見たり触れたりできるのです。


水晶球って、ありますでしょう。

例えばその水晶球の中に光源を入れますと、

水晶球の傷とか、微妙な色合いが表面に現れて参ります。

その水晶球の表面が私たちの住む多次元世界なんです。

いえ、三次元ではないのです。

この身体が三次元しか認識できないだけで、

この大自然界そのものが多次元世界なのですね。

そうして、水晶球の中には、神の意志、法があるのですね。

神が、わが子供達にりんごを与えたいと願いましたからこそ、

水晶球の表面にその意思がりんごの姿となって現れるのです。

神が、愛は美しい、としたからこそ、

地上で、愛の姿を成すものは美しいのです。

天は貴く、意思は硬いと決めたからこそ、空は高くて石は硬いのです。

悪は闇を好むと決められたからこそ、好ましくない虫達はじめじめした暗い場所に居るのですね。


その前提でね、例えば旧約聖書なんてものを読んでみる。

そうしますと、そこにはおっさんと同じ理論が展開されていることが分かるのではないかと思います。

それは神理というものなのですから、何千年も、恐らくこの先もずっと変わることなく、

変化したり、朽ちたりすることなく存在し続けるのです。

不生不滅、不垢不浄、不増不減、って般若心経にもありますでしょう。


意思が存在するからこそ、色がある、空もあるのです。

大自然界の目に見える世界は神の意志であり、

私達が神の子供であるからこそ見ることのできる美しい世界であり、

目に見えない世界も勿論間違いなく存在し、それは美しい世界のはずなんです。

そうしてそれは、間違いなく私たちのための神のご配慮あってそうなっているのですね。
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by yskfm | 2010-07-09 17:34 | 第二部、神理
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