盲信

キリスト教の信者さんは必ず

「キリスト様が私達の罪を償って下さった」

と仰られます。

この間違いが皆様にはお分かりになられますでしょうか?

少なくとも罪は、自分自身にしか償うことはできません。

それ故に学ぶことができるのです。

神に対しては懺悔して、二度と過ちを犯さない誓いを立てて、

人に対しては謝罪して、罪を償って清算して、

自らに対しては反省して心の偏りを修正するのです。

そうして始めて次のステップに進むことができるのですし、

魂もその分豊かになれるのです。


盲信とは、恐ろしいものでございます。

キリスト様が私達に代わって罪を償って下さった。

疑問を抱くことさえなく、そのように信じていらっしゃるのですから。


宗教の中にはね、

「疑問を持ってはいけない」といった教えを行っているところもありますでしょう。

そう言っておきますと教祖が多少間違ったことを言いましても誰も疑いを抱きませんでしょうから、

さらには「疑問を持てば神罰が下る」

それで信者は教祖の言いなりになって付き従いますでしょう。

財産だってほいほいと教祖に差し出しますでしょう。

でもね、でもですよ、

どこの神様に「疑問を持ってはいけない」などと仰られます神様がいるというのでしょうか。

納得が行くまで疑問を持ちなさい。

自分自身の頭で考えなさい。

そうして正しいものを見抜く判断力を養って聡い信仰をすることです。

神は罰など与えません。

自分自身の嘘の付けない心が自らを罰するのです。

正しい神仏はそう仰られるはずですね。


あのね、

キリスト様は尊いお方です。

同様にお釈迦様も尊いお方でございます。

でもね、キリスト教や仏教は違いますよ。

それは人の手によって加工され歪められたものですから中には間違いも沢山含まれております。

仏教なんてもうお釈迦様の教えを探し出す方が大変で、

哲学のような難解なものに成り果てているのですから。

ですから、疑問を持たずにそういった宗教を学びますと、

必ず、間違えます。


自らの純粋な心でね、

先入観を持たずに新約聖書を読んでみる。

キリスト様のお言葉が何を伝えようとしたのかを考えてみる。

それはお釈迦様でも同じですよ。

病人を癒すことで何を伝えようとしたのか、

教えの本質はどこにあったのかを考えてみる。


良いですか?

業と欲に塗れた生き神様や教祖が過ちを犯さないはずがないのです。

それは神父様や御坊さんでも同じでありましょう。

そういった人間達の手を介して存在する宗教に間違いがないことなんてあるはずがないのですね。

ですから、全ての教えを素直に受け入れてしまいましてはいけないのですよ。

必ず疑問を持って納得するまで受け入れない姿勢が必要なんですね。
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by yskfm | 2010-09-03 10:06 | 第二部、今生
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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