外見的な自分を受け入れる

ところでね、おっさんは若い頃、

外見的な自分というものが分からなかったのですね。

自分は、かっこ良くて、イケていて、って思っていたのですけど(爆)

ところがね、周りの反応を見てみますとどうもそうではない。。。


軟弱で、弱々しくて、病弱で、チキンで、

若かりし頃の外見的なおっさんはそうだったのですね。

まあ、今でもそうなのですけど、

ところがね、それが自分では分からない。

不思議なものです。


でもね、でもですよ。

これはあくまでも外見的なものであって、自分自身の本質、魂、根っこは違うわけです。

幾らチキンと言いましても、誰だって五十歩百歩、

誰だってチキンであることには違いがないのですし、

軟弱の程度は多少違いましても、誰だって軟弱なんです。

人間、そんなに差なんてないのですね。

ところがね、おっかなびっくり、外見は月とすっぽんぽんなんです。


自分が猪木だと信じていた人がですよ、

ある日突然に鏡というものを手渡されて、

自分の外見がMr.オクレ師匠であることに気付かされた。

オレは違うぞ、俺はオクレじゃないぞ!!

って叫んでみしても、自分がオクレ師匠である事実は否めないわけでございます。


考えてもみて欲しいのです。

皆さんが実際に鏡を見て、そこに見えた自分自身の外見がハタ坊だったら、

或いは砂かけ婆だったら、んでもって声まで砂かけ婆だったら。


でもね、それが事実なんです。

幾ら魂は違うのだと主張しましても外見がハタ坊や砂かけ婆であることに違いはないのです。


そうしてね、その外見を受け入れることこそがね、

人生を上手く渡るコツなんです。

幾ら内面的には砂かけ婆もハタ坊もMr.オクレ師匠もそんなに違わないと言いましてもね、

外見的にはやはり、砂かけ婆とハタ坊とMr.オクレなんです。

でもね、その役割は演じきらなくてはいけない。

それが人生なんです。

自分自身が外見的役割をしっかりと認識して、

しっかりと自分自身の責任として捉えなくてはいけないのです。

そりゃ、砂かけ婆は憎まれ、ハタ坊は苛めに遭い、Mr.オクレは見下されるかも知れません。

でも、それに向き合い、その役を演じきる上で個々人特有の様々な学びを得る、

そのための外見でもあるのですね。

それが課題であり、それが宿命なんです。

逆にその方が社会に受け入れられ易いのですね。

欠点は武器になりますからね。


ですから外見的なことに限らず全てを自分自身の責任として捉えて生きる。

文句も言わず、不満も持たず、責任転嫁もせず、

ただ只管にMr.オクレ師匠なら足腰の弱さ、スタミナのなさを過剰に演出する。


虎の威を借る狐

猫の皮を被った虎

Mr.オクレ師匠の仮面をつけたアントニオ猪木


その役割が演じ切れてこそ、きっと人生が上手く回るのです。

渡部陽一さんなどもそうではないかと思いますけどね。

いや、上手く演じ切っているものだと思いますね。

うん。
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by yskfm | 2010-12-20 10:58 | 第二部、神理
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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