信仰のあるべき姿

ただ盲目に指導者を信仰の対象にする。

そんなのはいい加減な信仰なのでありましてね、

自ずから注意深く正偽を吟味する上に成り立つ信仰こそが

本来のあるべき、聡い信仰の姿でございます。


「あなたが正しいように思うから、あなたを信仰しましょう。」

いや、それも違うのですね。

先日もお話させて戴きました通り、

人の心は移ろい易く弛んだネジであるよ、なんてことを申し上げさせて戴いたのですけど、

たとえ如来でも菩薩でも明神でも、

油断してしまいますと鬼にも悪魔にも成り果ててしまうのです。

それだけ地上の修行は厳しく、反省を欠かすことのできないものでございます。

その、生身の人を信じる、なんて無謀この上ないのですね。

本来はね、人を信じるのではなく、その教えの内容を信仰しなくてはいけないのです。


「私には今のところ疑問に思うところがなく、正しいように思われますので、

疑問が生じない限りはこの教えを信仰します。」

それが本来の信仰でありますように思いますね。


そしてまた、とある指導者などは、

「私は何某の生まれ変わりである。(だから私を信仰しなさい)」というような発言をしておりましたけど、


正しい指導者でしたら、

私を信仰の対象にされるのは迷惑です。と仰られますでしょう。

何故ならその間違った在り方は指導者を堕落させ、

信者を盲目と苦しみに追い遣る作用しか及ぼしませんでしょう。

ただ、その過った在り方によって指導者は多額の金銭を得ることもできるのですから、

逆に心正しくない指導者は、

「我こそは何とか大明神である。」とか、

「えるらんてぃであるぞ。」とか、

「釈迦であるよ。」とか、

「ミカエルでおまんにゃわ。」とか、

自ら進んでその必要もない場面で名乗りを上げますでしょう。

そうして、「私を信じなさい。さもなくば罰があたるよ。」

って人を脅すのですね。

神が罰を当てることはない、なんてことも知らずに、

虎の威を借る狐のようにその盲目な信者を脅して大枚を巻き上げるのですね。
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by yskfm | 2011-10-12 10:44 | 第二部、神理
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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