中道を考えてみる

たとえばね、宗教家とか、スピリチュアルリストを目指そうとなされます方の多くは

このような考え方をなされます。

「私は、無私に徹して社会や人のために尽くすのだ。」

これはね、勿論素晴らしく尊い考え方であるように思います。


また一方で次のように主張なされます方がいらっしゃいます。

「自らの生活基盤さえ確立できていない者がどうして社会や人のために尽くせるのか?」

ってね。

どちらも正論であるように思われます。


さて、皆様はどのようにお考えになられますでしょうか???


思いますに、無私に徹して、

これでは命の限り生き抜かなくてはいけない、という神霊の法に違うことにもなり兼ねませんね。

かと申しまして自らの生活基盤の確立に目が向くばかりに、

自分本位の考え方に終始するようでありましても、

人生上手くは回りませんでしょう。


生活基盤の確立も当然のことながらそうなのですけどね、

この世界では人のため、社会のために尽くしてこそ成長できるという面もありますからね、

やはり客観的に見て自身のことが50%、社会や人のことが50%

そうであってこそ中道ではないかなと思いますね。


さて、教師の体罰で学生が自殺するという事件がございました。

校長はどうも体罰を隠そうとしたふしがあるようですね。

世論は今、体罰排除の方向で動いておりますように見受けられます。

そうして、公共の場所での体罰が無くなりましても、

私的な場所、たとえばご家庭や私設の何らかの施設ではまだまだ、

体罰や虐待、虐めや暴力が続きますでしょう。

それは国の政策の不備に起因するところもありますでしょうし、

社会を構成する人々の、人を責めるばかりで自らに映して省みないところもありますでしょう。

誰だって校長の立場になりましたらきっと隠蔽するのです。

或いは我が子が苛めっ子でありましても、その子をかばおうとするのです。

我が身可愛さで自らに甘い判断を下してしまうのです。


ただそこには、人のため、社会のためというよりも、

自分目線、自分本位の方が遥かに大きな割合を占めているからなのでしょうね。


自らを疎かにすることもいけないし、

自らに終始することもまた、業を増やし、苦しみを増やすだけなのですから、

やはりそこは客観的な視点での中道の在り方が必要なのではないかな、

とおさんは考えるのでございますよん。


ばいなら
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by yskfm | 2013-01-11 10:49 | 第二部、神理
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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