畏怖するということ
畏怖するということ
神に対してかしこみ怖れるということ
これは決して怖がらせるのではありませんね。
威厳と力量を感じるということなんです。
威厳を示し怖がらせて押し付けたりするのではなくてね、
護られる、という安堵感なんです。
たとえば世の中には力量があってかなくてか、
やたらと威厳を示したがる輩がおりますね。
どこぞの大企業のお偉いさんなどは特にそうではないかと思いますけど、
組織を離れてまで威厳を示そうとするのは只の乱暴で恥ずかしい人ですね。
あはははは
乗った積りの大舟の怖ろしさかな
一方的に与えられ威厳を示し怖がらせる。
その怖ろしさは心に抑圧と歪みを生じます。
でも創造神の畏怖とはそれとは全く別物なんですね。
それは与えられるのではなくて自ら感じる怖れであって、
怖れるからその力強さに安堵し、尊敬し、崇拝するのです。
護られていることを実感するのです。
おさんはそのように思いますね。
by yskfm
| 2014-01-20 09:01
| 第二部、神理