調和と不調和の哲学

調和のために不調和がある。
調和のために不調和が生じる。
不調和は学びとなる。

人は余りにも多くの不調和なものをその体内に取り込んでいる。
全ての生物も同じである。

鳥インフルエンザ、様々な微弱毒を持つ細菌、埃、唾液、汚れた想念、
良くみてみれば、そういったものが空気中を飛び交っている。
どこまでが綺麗なもので、どこまでが汚れたものか、
そのような人間の独り善がりなものさしはナンセンスであるように思う。
そもそも身体そのものが汚れているのだから。

南無妙法蓮華
蓮華の花は汚れた汚水の中から美しい花を咲かせる。
人の身体が如何に汚れていようとも、その心は美しく咲かせることができるのだ。

汚れたものなんてこの世界には存在しない。
全て神様がお造り下さった賜わりもの。

でも美しいものと汚れたものの線引きはナンセンスであっても、
正しいもの、間違ったもののモノサシは存在する。
それなくしては、お釈迦様は何をお悟りになられたのだろうかということになってしまう。

たとえ人に害を与えるものであっても、
善なる心には無害なものとなる。
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by yskfm | 2006-02-25 18:19 | 第一部、想ふこと
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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