調和、普通の在り方

人には必ず弱い部分がある。
身体的にも、精神的にも、人生にも、心の状態でも、
完璧な人間なんて存在しない。
そこに人間の生まれて来た意味を感じる。
人間の素晴らしさを感じる。
弱い部分が、またチャームポイントや長所になったりもするのだから。

完璧な人間、それはアンドロイドを意味すると思われる。

人は偏った生活を続けると病気になる。
必ず、病気になる。
ただ健康的に年齢を重ねるだけでも機能不全になって行くのだから、
それは当然のことだと思う。
身体が、私達の真の姿でないことがこれだけでも理解できる。

心も、偏った在り方を続けていると病気になる。
身体の病なら、或いは心の病のほんの一部の解明された病なら、
医学の力で治すこともできる。
でも、医学は魂、霊体というものが存在しない前提のものであるから、
その領域も自ずと限られて来る。

人は、余りにも霊能力に興味を持ち過ぎる。
霊能力の恐ろしい面を全く考えようとしないで、むやみに霊能力を求め過ぎる。
心が幼稚なまま霊能力を得た時に、どのようになってしまうのか。
人は余りにもそういったことを知らなさ過ぎる。
そうして、時には霊的な病にかかってしまう。
これはお医者様には治せない病である。
そういった方面の術者も存在するが、高額な上に偽者も多い。
だから霊的な病にはかからない方が良いことは云うまでもない。

ところが、霊的なことをお仕事にされている人もいる。
でも、考えて欲しい。
再び最初の文章を思い出して欲しい。
偏った在り方を続けていると必ず病気になるのだということを。

私が治すのだ。これは偏った考え方である。
必ず治せるのだ。これは間違った考え方である。
本来、霊的な力は神様が与えて下さるものである。
純粋な人の想い、真心、願い、願うことの正しさ、他との兼ね合い、全体との調和、
そういったことを鑑みて神様が叶えて下さるものなのだ。
だから、叶うこともあるし、叶わないこともある。
願わなくても叶うこともあり、命懸けで願っても叶わないこともある。
全てを見極めて神様が叶えて下さるのである。
そこに術者の思惑が微塵たりとも入る余地はないのである。

神を、霊的なことをお金儲けに利用する、
神のことで人を騙す、
こういったことも偏った在り方である。
神の冒涜なのだ。

神とは、名前ばかりのものではない。
確実に存在するのである。
そうして、不調和な在り方(行為、想念)にはそれを悟らせるための反作用が生じる仕組みを、
法を提供して下さっているのだ。

偏った不調和な在り方、
霊的なことについて調和を忘れたまま、不調和な在り方を続けているとどうなるか、
そこには必ず好ましからざる霊的な現象が発生する。
痺れや悪寒、圧迫感、マイナスの想念、災い
そういった現象が生じてしまうのだ。

だから人は神や霊に関しては正しく考え、
調和のある在り方を心掛けなくてはいけないように思う。
間違いに気付けば直ぐに訂正し、神に謝罪することだと思う。
そうして、できるだけ、普通の在り方、当然そうあるべき姿を維持するべきであると思う。
人が正しく生きる道を全うすることだと思うのだ。
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by yskfm | 2007-04-19 00:48 | 第一部、想ふこと
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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