愛の暮らし

たとえばね、

地べたを這っている人でも、

高いところにいる人でも、

同じように太陽の光は降り注ぐし、

大地は暖かいのです。


神の愛によって生じた地球という暖かな環境、

そんな中で、人の生み出した上下関係、

地位とか、名誉とか、肩書きとか、金持ちとか、セレブとか、

そんなものは全く意味のないものであってね、

神様はどんな人でも平等に扱って下さる。

特定の人の頭の上だけお日様の陽が射さず、その場所だけ空気が薄く、

その場所だけ気温が低くて、その人の頭の上にだけ雨が降る、

なんてことは決してありえないのです。

いえ、勿論、神様がその人を本当に嫌いになりましたら、

そういった現象も当然のように生じるはずなのですけど、

絶対にそんなことは起こらないのですね。

もしそういった現象があるのでしたら、

それはまず間違いなく、その人自身の心が生み出した地獄なのですけど、


この神様の愛に溢れる大自然の中に、

沢山の人の愛によって作られた家に住み、社会に属し、

愛による恵みを食し、様々な愛によって生み出されたものに囲まれて、

私たちは生活しているのですね。

ですから、当然私たち自身もその愛の創造に積極的に参加するべきであると思いますし、

それが報恩の行為ではないかと思うのです。


権威や地位、名誉、知識や財力を振り翳して、

愛ではなくそういった人間社会だけにしか通用しない無意味な力しか信頼せず、

威張り腐る。

或いはそういった力で、自分の欲のために服従させ、働かせる。

こういった人は自ずと反作用が生じて魂の成長を妨害するようになると思いますし、

人から愛されることもなくなってくると思うのです。


愛だけが、神の意に適うものを生み出すことができるのです。

愛の作用によってのみ、私たちは魂を成長させることができ、

この世界に調和を生み出すことができるのです。

上から目線の愛、なんてありえませんし、

卑屈な愛、といったものもありえないのです。

欲と愛が同居することもありませんし、

自分本位の愛、なんてものも存在し得ないのです。

愛は対等で、見返りを求めないのです。

人の喜びが自分の喜びであるのです。

愛は愚痴を言いませんし、

自分のことも考えないのです。


自分中心だから、求めたくもなり、

愚痴だって生じて来るのです。

自分中心だから、卑屈になったり上から目線になったりするのですね。


愛の創造行為、

いえ、変な意味じゃないですよ。

愛の循環の輪の中にね、

私たちも参加しようとする意識、

そういったものがありますとね、

きっと社会は良くなって下さいます。

それができてこそ、

神様に少しばかり近づいた、と云えるのではないかと思いますね。



この両手に花を抱えて

あの日あなたの部屋を訪ねた

窓を開けた日差しの中で

あなたは笑って迎えた♪
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by yskfm | 2009-06-17 06:28 | 第二部、神理
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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