おのおのがた、討ち入りでござる、その1

赤穂と申しますと、塩の産地でございます。

兵庫県の西にありました国で、今では赤穂城などが残っておりますようでございます。

昔の御仁は感性が豊かでございました。

塩の味が分かるのですね。

そのような感性豊かな御仁の一人に、

柳沢出羽守保明(やなぎさわでわのかみやすあきら)

といった御仁がおられました。

五代将軍、徳川綱吉の御側用人筆頭で、後の美濃守吉保(みののかみよしやす)

ですね。

この名前はね、絶対に覚えておかなくてはいけませんね。

そうしませんと、忠臣蔵が分からなくなる。

将軍綱吉の一番近くに居た人で、この人を抜きにしては忠臣蔵は語れないのです。

で、この柳沢出羽守保明が、日頃から、赤穂の塩はうめえなあ、と感じていた。

そこで赤穂の製塩技術を聞き出して全国に広めようと考えたのですね。


吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)はね、高家筆頭、

高家といいますのはね、幕府が朝廷と折衝や調整ごとを行うための幕府側の役人ですね。

その筆頭なのですから、天皇とも対等に話し合う偉い人なのですけど、

そもそもこの吉良上野介義央はもうかなりのお歳のおじいちゃんでございまして、

頑固一徹、


当時はね、人の心や人柄を見抜き、

手の平を変え品を変え、

如何にしてその人の懐に入り込むか、

如何にして少しでも良い立場に立てるか、

そういった繊細で巧妙な交渉術が当たり前の世の中でありましたわけで、

そのような中で吉良上野介義央の頑固一徹では、どうも朝廷外交もままならない、

そんなことで柳沢出羽守保明も頭を抱えておりましたわけでございます。


ところで、この時代には饗応(きょうおう)という慣わしがございました。

幕府が朝廷のご機嫌を伺うために接待するのですね。

天皇や上皇に加えて女官やお付の者数百名が京から江戸へ物見遊山の大宴会、

それが饗応なのですけど、これだけで一千両(数億円)は掛かるのですね。

で、丁度その時の饗応役(館伴-かんばん-)に命じられておりましたのが、

浅野内匠頭源長矩(あさのたくみのかみながより)

浅野家大老の大石内蔵助が老中方に裏金を渡して今までは何とか辞退させて戴いていたのですけど、

老中方も限界に来ておりまして、

浅野内匠頭源長矩もさしこみ(胃痙攣)を理由に断ろうとしたのですけど、

この時ばかりは辞退させて貰えなかったのです。

分からんことがあったら高家筆頭の吉良上野介に聞けば良かろう、ってね。


それがこの事件の始まりでございますな。

つづく
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by yskfm | 2009-10-03 11:53 | 第二部、大地
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