2011年 04月 24日 ( 1 )


導かれて

現代風の生き方は必ず心に傷を生みます。

たとえば、子が生まれる。

神より預かりし子供たち。

彼らも成人する頃には沢山の傷を抱えておりますでしょう。

それは子供の学びのためだけではなく、親も学ぶためだという側面を見失ってしまっているからですね。

そしてその傷はどこかで綺麗に拭い取らなくてはいけません。

人によりましては、それを死後に持ち越す人も沢山おりますでしょう。

それもまた、学びであり、大切な経験と言うことなのかも知れませんけど、、、


傷を綺麗に拭い取る。

そして前向きで建設的な中道の想念・生活・行為の中にあります時だけ、

導かれるのですね。


ひらめきという導き

ご縁と言う導き

事象と言う導き

変化と言う導き

メッセージと言う導き


ある時、おっさんは祝詞を一生懸命読んでおりました。

心を込めてね。

丁寧に丁寧に祝詞を読んでおります時に、突然判ったことが幾つかあるのですね。


たとえば、「を」という字の読み方と「お」という字の読み方の違いですね。

ワ行の わ、ゐ、う、ゑ、を

これはね、

ぅあ、ぅい、ぅう、ぅえ、ぅお

なんですね。

また、ヤ行の や、い、ゆ、え、よ

これは、

ぃあ、ぃい、ぃう、ぃえ、ぃお

なんですね。

誰から教わったことでもないのにそんなことが判ってきたのですね。


また、礼の姿勢なんですけど、

心を込めて礼をしようとすれば必ず手のひらは上を向くのですね。

まず、左の手を上向きに置いて、

次に右の手のひらを上向きに置くのです。

これも誰から教わったでもなく、そうすることが心の篭った姿勢なのだと、

判ったのです。

恐らくこれはおっさん独自のおっさん流かも知れませんけど、


それで昔にサイトに「真心の印行」というタイトルで掲載させて戴いているのですけど、

印行という言葉もおっさん流ですね。

手印の行を縮めて、勝手に印行と呼ばせて戴いているのです。


そうやって導かれております間に、

神道には昔々の人類の歴史や生い立ち、神霊との繋がり等がね、

言霊や祝詞、三種の神器に隠されているということさえ判ってきたのですね。


勿論、祝詞やそういった祈りの言葉は絶対に必要なものではないのです。

人が力強く生きるために方便のように存在しているだけのもので、

人生を正しく生きるために祈りの言葉は必要ではないのです。

何も祈らなくても正しく生きることはできるのですし、

菩薩様や如来様などは逆に祝詞よりも感謝や愛の言葉、調和した想念を望まれますでしょう。


人はね、一つ一つでも気付いていかなくてはいけないのだと思いますね。

導かれていかなくてはいけないのだろうと思います。

そうやってね、見えないものが次第に見えるようになって、視野が広がって、

そうであってこそ魂の成長に繋がるのですから。


今日はなんかそんなことを考えておりました。

おわり
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by yskfm | 2011-04-24 01:08 | 第二部、神理
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日々の生活や出来事など、斜め45度視線を傾けずに綴るブログ。思想から日常まで。♪オッサンぶろぐ♪♪  ☆手前味噌で口八丁手八丁足八本の世界をご堪能下さい。☆


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