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加害者の考え方は必ず、視野の狭い自己中心的なものでございます。
「愛があるから行為に及んだのだ。
愛は素晴らしいものであり、愛による行為は尊ばれるべきである。」
と多かれ少なかれこのように考えているものでございます。
ところが、ここに自己中心的な傲慢さがあることを見抜くことのできない方がいらっしゃる。
これは本当に恐ろしいことでございますね。
事件は、被害者と加害者の意識の食い違いから生じて参ります。
人は社会性のある生き物ですから、双方が意識の同調を図る努力を怠りますと、
そこには必ず事件が発生してしまうのです。
人の気持ちを察する努力を怠り、
或いは自己中心的な判断で相手を誤解し、
意識が同調せぬままに行動する。
自分がこうだから、相手も同じなのだろうと。
でもそれは相手を思い遣る心を失った自己中心的な狭い視野ではありませんか?
恐らく相手はこう云いますでしょう。
「私があなたの行為を認めた事実はない。」
そしてまた、周りの人々もこう云うのです。
「社会通念上、愛がすなわちセクハラやストーカーとはならない。」とね。
愛しさに、両手を拡げて抱き締めたくなったことはありませんか?
全身で、愛を感じたことはありませんか?
心が、喜びに溢れたことはありませんか?
感動に、涙がとめどなく流れたことはありませんか?
命は、決してちっぽけなものではないのですよ。
歳を重ねることも、決して悲しいことではないのですよ。
子供以上に、愛を感じられる大人であって下さい。
子供以上に、夢を追い続ける大人であって下さい。
子供以上に、瞳をキラキラ輝かせた大人であって下さい。
子供以上に、純粋であって下さい。
子供以上に、
あなたはこれから銀行に行く準備をしています。
まず、財布を鞄の中に入れましょうね。
その財布はお札がぎっしりと詰まって膨らんでいます。
財布を開けてみますと、分厚い一万円札の側面が見えます。
さあ、親指で触ってみましょう。
確かにありますね。200万円くらい。
その財布を鞄の中に入れて、
と、その時誰かがまた一万円札の札束を渡して下さいました。
200万円くらいありますでしょうか。
でも財布にはもう入りません。
ですから、その札束は服のポケットに押し込みましょう。
さて、銀行に着きました。
応接室に案内されてソファに座っておりますと、
台車に積まれた一億円の包み3つが、運ばれて来ました。
テーブルに乗せられたその三億円の山を抱き締めてみて下さい。
と、そんなイメージの訓練でもすれば、三億円は当るものなのでしょうか?
宝くじ、買ってみても良いかな、
なんて思う今日この頃でございます。
ああ、だから、こぶしなのですね。
愛しき樹よ、こぶしの樹よ。
私はあなたを抱き締めてみたい。
あなたの中にも、
神の大きな息吹を感るから。
私の魂が、あなたと一体となり、
その実の一つの粒となって
実ることができるなら、
やがて私は地に落ち、
大きな木になろう。
白い花を咲かせて、
沢山の実を付けよう。
そうしてこの大地に、
子を増やし、孫を増やし、
神様の足座を
白い花で着飾らせるのだ。
それは、素晴らしきことである。
それは、輝かしきことである。
農民が全て別の藩に移ってしまったのです。
藩主はその藩に農民が一人もいなくなってしまったので困ってしまい、
農民を訪ね歩き、こう云いました。
「義を忘れた者よ、仲良くしようではないか」と。
ところが、農民は逆にこう云い返したのです。
「あり得ないほどの高い税を搾取する殿様に一体誰が仕えるだろうか?
私達はあなたを憎んではいない。
でもあなたの藩にいることはできない。
仲良くしたいのなら、まずあなたが考え方を改めることだ。
私達は何度も、あなたに訴えたではないか。」と。
皆様はどう思われますでしょうか?
恐らく、この藩主が困った時に助けて下さる方は少ないでしょう。
国と国民、経営者と従業員、親と子、夫婦
どのような関係でも起こり得ることでございます。
ただ一つだけ云えますことは、
決してこの藩主のようにはならないことです。
決してこの藩主のようには・・・。
食事をしておりますと、飛んで来るのですね。
それで近くのスーパーに参りまして、コバエキャッチャーなるものを購入して来たのですけど、
ダメですね。
コバエキャッチャーではコバエは取れないのです。
それで、今、ムシコナーズという高価な芳香剤を買って参りまして様子を見ているのですけど、
葱にはコバエが集ります。
やはり葱はベランダで、土に植えないとダメですね。
室内は葱より観葉植物が良いのですね。
まあ、そんなに広い部屋ではありませんけど。
愛を伝えるため
夢を伝えるため
真心を伝えるため
真理を伝えるため
喜びを伝えるため
智恵を伝えるため
感動を伝えるため
未来を伝えるため
暖かさを伝えるため
あなたが伝えるべきものを、間違いなくお伝え下さいますように。
そのためにあなたはこの世界に降臨して、今生きているのではありませんか。
間違えても地獄の波動などお伝えになられませんように。
おやすみなさい。
鏡と剣と玉
これを三種の神器と云います。
古代人はね、この三種の神器を使って現代人に何かを伝えようとしたのですね。
そうして、何故、鏡と剣と玉が三種の神器なのか、
そこには古代人の素晴らしい智恵が詰まっているのですね。
本当の意味を知る者は恐らく僅かでしょう。
或いは誰も知らないのかも知れない。
でも、素直な心で考えますと誰にでも分かります。
今は未だ、私はその答えを云いません。
やまたのおろちがどこにいたのか、
今は未だ、私はその答えも云いません。
天に帰れば分かることです。
天に帰れば分かることです。
大量の雨が降れば地盤が圧迫されて震災が発生する、
それは過去の経験から分かっていたことではないのでしょうか?
政府も、自治体も、何も対策を考えて来なかったのでしょうか?
全く、可哀想なことでございます。
盆の終わりの日にこのような大惨事が発生した、
私はこれには何か意味があるように思います。
命を大切にすること、
小さな命も、大自然の命も、己の命も、人の命も、
全ての心あるものの命も、
大切にしなさいという警告であるように私には感じるのです。
命式(いのちしき)
お前達はいつもそうだ。
お金お金というて、
必要なものは神様がちゃんと与えて下さるのに、
それで盲目になりよって。
不調和な生き方をして、
多くの命を粗末にして、
不満やストレスで心身を患わせ、
心を煤で真っ黒に汚し、
愚かな生き方をして、
自ら望んで不幸になって行きよる。
これがお前達の命式である。
悔い改めて神の道を歩めよ。
業が深過ぎて、未だに心が届きはしませぬ。
私のことでお心を煩わされませぬよう、
赦してたもれ。
全ての魂が平穏でありますように。
全ての命に祝福がありますように。
世界が平穏であり、天と共にありますように。
神仏のお慈悲がありますように。
なーむー & アーメン